大阪文化賞

1973年度(昭和48年) 大阪文化賞受賞者

橋本宇太郎(はしもと うたろう)
橋本宇太郎
  • 分野
    囲碁
  • 受賞理由
    戦後いち早く関西棋院を創立し、とかく東京一辺倒であった棋界に新風を吹きこむ。
    関西囲碁界の大御所として新進棋士の養成、指導に力を注ぎ、橋本昌二、宮本直毅、本田邦久など有能な若手を世に出している。
    「天才宇太郎」と称されるように、軽妙華麗な碁風で知られ、本因坊戦をはじめ各種碁戦に優勝、高令のいまなお第一線にあって活躍し、健在ぶりを示している。
    国の内外を問わず普及活動にも力を入れ、囲碁という知的ゲームを通じて生活文化の向上に寄与されるところ大きいものがある。

1973年度(昭和48年) 大阪文化賞受賞者

吉村一夫(よしむら かずお)
吉村一夫
  • 分野
    音楽評論
  • 受賞理由
    音楽評論の草分け的存在として、座談に講演に文筆にと幅の広い活躍を示している。
    鋭い感性と豊かな知識に支えられた的確、深遠な批評は、専門家、アマチュアの別を問わず、音楽家や音楽団体の創造活動に大きな影響力を与え、同時にまた一般音楽愛好家に対しては、音楽知識と鑑賞意欲を呼びおこす媒体ともなっている。
    大阪音楽協会を主宰して西洋音楽の啓発普及につとめる一方、生活にとけこんだ音楽の創造を目ざして「コンサート・セミナー」を企画し、新たな視点から音楽のあり方、可能性の追求に意欲を燃やしている。
    音楽評論というものの地歩を確立し、音楽文化の向上に寄与されるところ大きいものがある。

1973年度(昭和48年) 大阪芸術賞受賞者

浅野孟府(あさの もうふ)
浅野孟府
  • 本名:浅野猛夫
  • 分野
    彫塑
  • 受賞理由
    30数年前大阪に居住以来、抽象美術全盛の時流に左右されず現代レアリズム一筋に人体の美を追求し、風土に根ざした彫刻の完成を目ざして「大阪の女」連作に取組んでいる。
    作品は寡作だが、親しみやすく、庶民的でいきいきとした人間の喜びをうたいあげた裸女像に特色が見られ、多方面にわたる記念碑的作品にもすぐれたものが見られる。
    特に戦後は、現在の全関西美術展の創設以来、運営委員として尽力、審査員も歴任したほか、大阪彫刻家会議副会長として公園に彫刻を設置する市民運動に協力するなど、大阪における美術の普及に果された功績もまた大きいものがある。

1973年度(昭和48年) 大阪芸術賞受賞者

大西信久(おおにし のぶひさ)
大西信久
  • 分野
    能楽
  • 受賞理由
    60余年にわたるシテ演能は2000番を数え、「関寺小町」を除き、秘曲「姨捨」「檜垣」をはじめ観世流210番の全曲を完演、伝統芸術の真髄を伝え、上方風ともいうべきおおらかでしっとりした芸風は、寂びた枯淡美を本領とする老女物に一段の精彩を放っている。
    また、関西最大の演能グループ大阪観世会を率いて後進の指導育成に尽力、昭和34年には大阪能楽会館を建設するなど、能楽の発展と普及に貢献するところきわめて大きいものがある。

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