大阪文化賞

1977年度(昭和52年) 大阪文化賞受賞者

白數美輝雄(しらす みきお)
白數美輝雄
  • 分野
    医学
  • 受賞理由
    わが国の歯学の揺籃期にあって、数々の研究業績を発表し、歯科解剖学、歯科病理学の権威として歯科医学の基礎を確立した。
    また、母校の大阪歯科大学教授として学生の教育にあたるとともに、学長・理事長として優れた手腕を発揮するほか、府立堺聾学校の歯科技工科の設置に努力し、あるいは無医村に診療団を派遣し、また救癩奉仕団を組織して救癩事業につとめるなど、その活動は海外にまでおよび、保健文化の向上に大きく貢献した。

1977年度(昭和52年) 大阪文化賞受賞者

小野攝龍(おの せつりゅう)
小野攝龍
  • 分野
    郷土文化
  • 受賞理由
    幼時より父樟蔭の指導を受け、わが国で最も古い歴史と特色のある天王寺舞楽の正統を継承する雅亮会(がりょうかい)の代表者として、技術の錬磨と後進の育成に励んでいる。
    戦後、四天王寺・住吉大社などに舞楽を奉仕するほか、宮内庁楽部と合同演奏を行い、41年以降は毎年雅楽公演会を開催するなど、舞楽の発展と普及に大きく貢献している。
    四天王寺の「聖霊会(しょうりょうえ)の舞楽」が重要無形民俗文化財として指定されたのも氏の努力に負うところが大きい。

1977年度(昭和52年) 大阪芸術賞受賞者

須田剋太(すだ こくた)
須田剋太
  • 本名:須田勝三郎
  • 分野
    洋画
  • 受賞理由
    埼玉県の出身で、戦後は関西に居住し、具象画・抽象画の双方を志向する数少ない前衛的な洋画家として活躍している。
    作品はきわめて高い生命の充実感と東洋的な深い精神性にもとづく高い画境を示し、洋画壇に与えた影響は大きく、後進の育成に顕著な役割を果たしている。
    また、昭和14年「読書する男」で初の日展特選となり一躍脚光をあびたが、画績に甘んじることなく広く活躍の場を海外にも求め、国際的にも高い評価を得ている。

1977年度(昭和52年) 大阪芸術賞受賞者

三世 茂山千作(しげやま せんさく)
三世 茂山千作
  • 本名:茂山真
  • 分野
    狂言
  • 受賞理由
    能楽師大蔵流狂言方の歴史ある家系に生まれ、幼少の頃から斯道に志し、研鑽を重ねて名人のみが達し得る境地をひらき、昭和51年には重要無形文化財狂言の保持者(人間国宝)に認定され、古典芸術の真髄を今日に伝えるとともに、その普及に尽した。
    一方、氏の家庭は親子4世代が現役として活躍するというまれに見る狂言一家で、多数の門人をも育成し邦楽界の進歩に貢献している。
    更に海外公演にも参加して、国際文化交流にも貢献した。

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