大阪文化賞

1991年度(平成3年) 大阪文化賞受賞者

木村重信(きむらしげのぶ)
木村重信
  • 分野
    芸術学
  • 受賞理由
    ヨーロッパの旧石器時代美術の研究から出発し、世界各地の先史・古代岩壁画、特にサハラや南部アフリカ、インドの岩壁画の研究で顕著な業績をあげた。同時に古代美術に関して、女性像の研究を通してヴィーナス神話の源流を究明。
    また、アフリカ、アジア、オセアニアの部族社会における絵画、彫刻、工芸、建築などの造形芸術を現地調査によって総体的な生の連関の中でとらえ、芸術学と民族学の両領域にわたる諸問題を提起。
    その結果、民族芸術学という新しい学問分野を開拓した。さらに欧米および日本の近代美術に一種の社会芸術学的方法によって新しい光をあてるなど、数多くの優れた業績をあげ、斯界の発展に大きく貢献した。

1991年度(平成3年) 大阪文化賞受賞者

山野忠彦(やまのただひこ)
山野忠彦
  • 本名:山野忠夫
  • 分野
    樹木保護
  • 受賞理由
    戦後、鉱物調査のために日本全国の山を歩く中で、各地の老銘木が傷み、放置されたままになっていることに強く心を痛め、樹木の治療に専心することを決意。昭和33年には「樹医」となることを宣言し、日本樹木保護協会を設立して代表となる。
    昭和34年、治療第一号として粟津温泉の「黄門杉」の治療を手がけ、その後、金沢・兼六園、奈良・法隆寺、大阪・御堂筋のイチョウ並木など、全国各地の樹齢300年以上の巨樹、古木を中心に診断、治療を行った。
    昭和63年には治療樹木1千本を達成。現在までに1100本を越える木を蘇生させ、自然保護に大きく貢献した。

1991年度(平成3年) 大阪芸術賞受賞者

鶴澤寛八(つるざわかんぱち)
鶴澤寛八
  • 本名:上村はま
  • 分野
    義太夫三味線
  • 受賞理由
    昭和6年、竹本團路に師事し、竹本團秀と名乗る。同年、南演舞場で初舞台。戦後は人間国宝、故鶴澤寛治の薫陶を受け、義太夫一筋に精進する。その三味線は「生きているようだ」と評され、関西女流義太夫の第一人者である。
    また、「女流義太夫の会」や、自ら主宰する「鶴澤寛八会」などを通じて、義太夫節の伝承と普及に努め、特に現代の若者にも支持層を広げようと、カルチャーセンターやレストラン、その他さまざまな場所で演奏や講演を行うなど、意欲的な活動を行っている。
    さらに、後進の育成にも積極的に力を尽くし、女流義太夫の復興と発展に大きく貢献した。

1991年度(平成3年) 大阪芸術賞受賞者

秋山和慶(あきやまかずよし)
秋山和慶
  • 分野
    指揮
  • 受賞理由
    故斎藤秀雄氏に師事。昭和39年、東京交響楽団を指揮して楽壇にデビュー。大成功をおさめて同楽団専属指揮者となる。昭和47年からはバンクーバー交響楽団の音楽監督・常任指揮者に就任、同楽団を北米で第一級のオーケストラに育てあげた手腕は高く評価されている。
    その後も欧米の主要なオーケストラに招かれ、めざましい活躍をつづけている。特に昭和42年以来、大阪フィルハーモニー交響楽団の指揮者として、意欲的なプログラムと卓越した指揮活動により、大阪フィルをわが国第一級の楽団に育てるなど、わが国のオーケストラ演奏のレベル向上に尽力し、とりわけ関西の音楽文化への寄与は多大である。

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