大阪文化賞

2005年度(平成17年) 大阪文化賞受賞者

柏木哲夫(かしわぎ てつお)
柏木哲夫
  • 昭和14年生まれ
  • 分野
    医学
  • 受賞理由
    日本での癌治療に関する医療技術の発展はめざましく、世界のトップレベルに位置していながらも、末期癌患者に対しては延命治療のケアが主流であった。柏木氏は、昭和48年日本で初めて淀川キリスト教病院でホスピスプログラムをスタートさせ、昭和59年国内で2番目となるホスピス病棟を同病院に設立するなど、末期癌患者が人間らしい人生を全うでき、患者や家族のQOL(クオリティーオブライフ)を高めることを援助するホスピス医療の確立に貢献している。
    平成3年には全国ホスピス・緩和ケア病棟連絡協議会を発足させ、初代会長に就任した。ホスピス・緩和ケア病棟の普及、内容の改善に取組んだ活動等により、平成17年9月現在、全国のホスピス、緩和ケア病棟は150を数えるまでになった。
    また、平成12年からは(財)日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団理事長として、ホスピス・緩和ケアの質的向上のための調査・研究、関係者への技術的支援、広報活動、国際交流などを通じ、国内のホスピスケアの質と量を高める支援を行っている。
    平成5年大阪大学人間科学部教授、平成16年金城学院大学学長に就任し、後進の育成にも貢献している。
    このような同氏の活動は、ホスピスの必要性をいち早く提唱した先駆者として後のホスピスの発展に大きな功績を残し、大阪の学術文化の振興に大きく貢献するものである。

2005年度(平成17年) 大阪文化賞受賞者

芝哲夫(しば てつお)
芝哲夫
  • 大正13年生まれ
  • 分野
    化学
  • 受賞理由
    昭和57年、「生体機能解明のためのペプチド、糖に関する有機合成研究」の成果が認められ、日本化学会賞を受賞し、細菌細胞壁のエンドトキシンの構造を解明するなど、有機生物化学の分野で世界的な業績をあげた。昭和63年から(財)蛋白質研究奨励会ペプチド研究所所長となり、現在も生命科学に関係するアミノ酸・ペプチド・糖についての講演活動を行っている。
    また、大阪大学の適塾記念会の理事を務め、適塾建物の修復再建に貢献し、緒方洪庵とその門下生に関する業績の調査、研究、顕彰を続けている。
    また同時に明治初年オランダ人化学者ハラタマ氏によって大阪に開かれた舎密局(せいみきょく)の歴史の顕彰を行うなど、大阪における蘭学研究を進め、日本とオランダの友好に尽くした功績により、オランダ王国よりオラニエ・ナッソウ勲章を授かるに至る。
    さらに、日本の化学のはじまりについての研究を行い、平成3年からは化学史学会会長に就任して、化学史の研究を続けている。
    このように、化学者として、また蘭学、適塾研究者として、多方面からの調査、研究活動により近代科学史を解明した功績は、大阪の文化振興に大きく貢献するものである。

2005年度(平成17年) 大阪芸術賞受賞者

植田紳爾(うえだ しんじ)
植田紳爾
  • 昭和8年生まれ
  • 分野
    歌劇
  • 受賞理由
    昭和32年宝塚歌劇団入団。同年12月『舞い込んだ神様』で演出家としてデビューする。
    当初は舞踊劇、狂言など小作品を多く手掛けた。昭和49年『ベルサイユのばら』が初演以来平成13年までに上演回数1,446回、観客総数356万人を記録する宝塚歌劇史上最大のヒット作となった。その後も『風と共に去りぬ』など大作でヒットを飛ばすドラマ作者として活躍している。
    これまで手がけた作品は100本近くを数えるが、難解な素材を解りやすくドラマチックにかつ華やかさのある舞台に仕上げることに定評があり、数々の賞を受賞している。再演を重ね、時代を超えて多くの人々に愛される作品を作り出している。
    さらに、ニューヨーク、香港、中国など海外公演も担当し、優美で華やかな作品を通じ海外での文化交流にも貢献するとともに、宝塚歌劇団以外の作品も多く手がけるなど、幅広く活躍している。
    また、演出家として役者の個性を十二分に引き出すとともに、多くのスターを生み出し、宝塚の発展と後進の育成に手腕を発揮してきた。
    このように宝塚歌劇という演劇の世界を確立し、その存在を全国的なものに育て上げてきた功績は多大であり、今なお関西の演劇文化を支えている同氏の業績は、大阪の文化振興に大きく貢献するものである。

2005年度(平成17年) 大阪芸術賞受賞者

宮本輝(みやもと てる)
宮本輝
  • 本名:宮本 正仁
  • 昭和22年生まれ
  • 分野
    小説
  • 受賞理由
    幼少期を「泥の河」の舞台となった中之島で過ごす。その後幾度か転居するが、青年期までの多くを大阪で過ごした。
    追手門学院大学卒業後、昭和45年広告代理店に勤務するが、昭和50年に退職、その頃から本格的に小説を書き始める。
    昭和52年大阪を舞台とした「泥の河」で太宰治賞、昭和53年「蛍川」で芥川賞を相次いで受賞するなど、その作品は高い評価を得ている。昭和56年には「道頓堀川」を刊行し、「川三部作」を完結する。昭和62年には、「優駿」で吉川英治賞を史上最年少で受賞した。
    また、昭和63年から三島由紀夫賞、平成8年から芥川賞の選考委員を務めるなど活躍の場を広げている。
    大阪を舞台にした作品も多く、また優れたストーリー展開と質実で爽涼感あふれる文章で真摯に生きる人々の暮らしの機微を克明に描いた作品は、数多く映画化され高い評価を得るとともに、人々に親しまれる作品となっている。このような宮本輝氏の活躍は、大阪の芸術文化の振興に大きく貢献するものである。

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