大阪文化賞

2006年度(平成18年) 大阪文化賞受賞者

熊谷信昭(くまがい のぶあき)
熊谷信昭
  • 昭和4年生まれ
  • 分野
    電磁波工学
  • 受賞理由
    大阪大学工学部通信工学科卒業後、カリフォルニア大学電子工学研究所上級研究員などを経て、昭和46年大阪大学工学部教授に就任。一貫して電磁波論とその工学的応用に関する先駆的・独創的研究を行い、世界に先駆けて相対論的電磁波論に関する研究を創始し、従来の定説や常識を覆す数々の特異な電磁現象を見いだして、この分野における世界的な研究活発化の端緒を開くなど、多くの顕著な業績を挙げた。
    また、電波帯から光波帯にいたる電磁波の工学的応用に関する先導的研究を展開し、中でもそれまで全く未開拓の領域であったミリ波帯の通信への応用に関する研究に取り組み、ミリ波通信技術を確立するとともに、光波帯における一連の研究で光エレクトロニクスと光波電磁工学の進歩に大きく貢献し、その功績は国内外から高く評価されている。
    昭和60年から大阪大学総長を務め、平成3年大阪大学名誉教授。平成16年には兵庫県立大学初代学長に就任。高等教育の充実・発展にも大きく貢献している。その間、電子情報通信学会会長や科学技術会議(現総合科学技術会議)議員、大阪府文化振興財団理事長などを歴任し、現在も大阪21世紀協会会長などとして幅広い分野で活躍している。
    新しい電磁波論の開拓と、今日電磁波工学と呼ばれている重要な工学の分野の学問・技術の確立に主導的役割を果たした同氏の業績は、科学技術の発展に大きな功績を残すとともに、大阪の学術文化の振興にも大きく貢献するものである。

2006年度(平成18年) 大阪文化賞特別賞受賞者

社団法人上方落語協会会長 桂三枝(しゃだんほうじんかみがたらくごきょうかいかいちょう かつら さんし)
社団法人上方落語協会会長 桂 三枝
  • 昭和18年生まれ
  • 分野
    文化振興
  • 受賞理由
    上方落語協会は、昭和32年4月に関西在住の18名の落語家により発足した。当時上方(関西)には落語会をする定席の小屋がなかったため、噺家らが一丸となり、落語会の企画・運営に努め、現在は、協会主催落語会として昭和47年から続けられている「島之内寄席」を中心に、各種市民寄席・ホール寄席を企画・運営し、落語家のファン感謝デーとして、噺家によるお祭り「彦八まつり」を催すなど、上方における落語文化を盛り立てている。
    同協会には平成18年8月1日現在、196名(落語家185名、三味線11名)の協会員が所属。歴代の会長は3代目林家染丸氏、笑福亭松鶴氏、桂春団治氏、桂小文枝氏、露の五郎氏らが就任し、現在は桂三枝氏が第6代会長を務める。
    現会長桂三枝氏は、「新婚さんいらっしゃい」など多くのテレビ番組での司会で人気を博し、昭和58年には創作落語「ゴルフ夜明け前」で芸術祭大賞を受賞。その後も全国を舞台に自らの創作落語の公演活動を行っている。平成15年に同協会の会長に就任後、翌16年に同協会が社団法人となったのを機に、積極的、活発な取組みを続け、平成18年9月に、落語専門の定席である「天満天神繁昌亭」をオープンさせた。この上方落語の悲願であった「繁昌亭」は、バラエティに富んだ公演や、学生対象の「落語体験講座」を開催するなど、上方文化の新しいシンボルとなることが期待されている。
    このように、関西で戦後60年ぶりとなる定席落語を復活させるなど、上方落語文化の発展に尽力する同協会会長桂三枝氏の活躍は、大阪の文化振興に大きく貢献するものである。

2006年度(平成18年) 大阪芸術賞受賞者

難波利三(なんば としぞう)
難波利三
  • 昭和11年生まれ
  • 分野
    小説
  • 受賞理由
    島根県大田市(旧温泉津町)出身。大学中退後、プラスチック業界新聞に勤務中、病気に倒れ、療養中に執筆活動を行う。昭和39年に「夏の終わる日」で小説新潮に入選する。
    昭和40年に退院し、英語塾を開くかたわら、本格的に執筆活動を始める。昭和47年の「地虫」がオール読物新人賞と同時に直木賞候補となる。以来、大阪の庶民の人情を描き続け、「雑魚の棲む路地」「天を突く喇叭」などで候補になること5回。昭和59年候補6回目にして「てんのじ村」で第91回直木賞を受賞する。
    「大阪笑人物語」「浪花裏町人情通り」など、大阪を舞台とした人情ものの現代小説を発表し、上方演芸の深い味わいと芸人の心意気、市井の人々の力強い生きざまを端正な筆致でいきいきと描き出し、自由闊達な大阪の魅力を全国に紹介し、高い評価を受けるかたわら、テレビ出演、講演等を行い、活躍の場を広げる。
    昭和63年には大阪市教育委員を務め、大阪の教育の発展にも大きく貢献した。平成11年には大阪市立クラフトパーク初代館長となる。
    このように、数々の作品や活動を通じて全国的に大阪再発見の機運を促した同氏の業績は、大阪の芸術文化に大きく貢献するものである。

2006年度(平成18年) 大阪芸術賞特別賞受賞者

大植英次(おおうえ えいじ)
大植英次
  • 昭和31年生まれ
  • 分野
    洋楽
  • 受賞理由
    4歳よりピアノを始め、桐朋学園で斎藤秀雄氏に指揮法を師事。昭和53年アメリカに渡り、小澤征爾氏の招きでタングルウッド・ミュージック・センターに学び、同年ニューイングランド音楽院指揮科に入学。タングルウッドでレナード・バーンスタイン氏に出会い、以後世界各地の公演に同行、助手を務めた。
    バッファロー・フィル準指揮者を経て、平成2年から平成7年までエリー・フィルの音楽監督を務め、同団の実力を飛躍的に向上させる一方、活発な地域活動を行い高く評価された。
    平成7年から平成14年まで名門ミネソタ管の第9代音楽監督を務め、世界的な脚光を浴びるようになるとともに、平成10年からはハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニーの首席指揮者を務め、平成12年よりハノーファー音楽大学の終身正教授も務めている。
    平成15年より故朝比奈隆氏の後任として大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督に就任。以来、意欲的なプログラムに取り組んでいる。さらに平成18年9月からバルセロナ交響楽団の常任指揮者兼アーティスティックアドヴァイザーに就任した。
    客演指揮は、ニューヨーク・フィル、シカゴ響、フィラデルフィア管、ドイツ各地の放送交響楽団、ミュンヘン・フィル、ベルリン・ドイツ響、ロンドン響、オスロ・フィルなど欧米の主要オーケストラで行い、絶賛を博している。
    平成17年、新演出の「トリスタンとイゾルデ」で日本人指揮者として初めてバイロイト音楽祭で指揮し、世界中の注目を集めるとともに、大阪の名を印象づけた。
    「楽しくなければ音楽ではない」という言葉のもと、大阪での音楽普及活動にも力を入れ、平成18年4月には大阪城西の丸庭園において大阪フィルハーモニー交響楽団初の野外コンサートとなる「星空コンサート」を成功に導いたほか、9月には、御堂筋各所において市民が気軽に音楽を楽める「大阪クラシック」をプロデュースするなど、同氏の活躍は大阪の芸術振興に大きく貢献するものである。

2006年度(平成18年) 大阪文化発信賞受賞者

四代目 坂田藤十郎(さかた とうじゅうろう)
坂田藤十郎
  • 昭和6年生まれ
  • 分野
    歌舞伎
  • 受賞理由
    上方歌舞伎の名優二代目中村鴈治郎の長男として生まれる。昭和16年の初舞台後、大役に次々挑戦する。昭和28年「曽根崎心中」の「お初」を初演して当たり役となるとともに、世に「扇雀(せんじゃく)ブーム」を巻き起こし、その後も多彩な分野で活躍している。
    若年より清新な演技で注目を集めるが、やがて立役にも芸域を広げ、幅広い役柄をこなすとともに、上方歌舞伎の演目および演出の貴重な継承者としても積極的な活動を続けている。昭和56年には自ら主宰する自主公演団体「近松座」を結成し、翌年第1回公演で「心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)」を上演、その後現在に至るまで、廃絶演目の復活なども含めた近松門左衛門作品の現代における再見と上演に精力的に取り組んでいる。
    また、昭和63年に北米歌舞伎公演で芸術監督を務めたほか、海外でも積極的に公演を実施し、大きな功績をあげている。平成15年の訪露公演中には「曽根崎心中」お初役通算上演回数が1200回を記録し、ロシア連邦文化省から文化功労賞を受賞した。
    平成17年秋に坂田藤十郎を襲名し、上方歌舞伎を代表する大名跡を231年振りに復活させた。襲名披露公演では、型を重視した江戸歌舞伎とは異なる自然な感情表現や原作のストーリー重視の展開という上方歌舞伎の魅力をアピールした。
    このように、上方歌舞伎を広く国内外へ紹介し、その普及に努めている同氏の活躍は、大阪の文化振興に大きく貢献するものである。

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